太陽の家のある登米町

登る米と書いて、

「とよま」と呼びます。

松尾芭蕉さんは「戸井摩(といま)」と呼び、

太安万侶さんは「遠山(とおやま)」と呼びました。

古事記に出るほど、

とてーも歴史深いまち。

今日は、そんな登米町の歴史を

地元の方から教わりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

昔むかしのそのまた昔、登米町は海でした。

 

江戸時代には、

東北最大と言われている北上川の河道開削がされ、

舟運により、伊達支藩の城下町として栄えました。

登米地域の政治・経済・文化の中心だったのです。

今でも、城下町の名残があり、

宮城の明治村と呼ばれています。

 

さらに、登米町のある登米市の米は、

宮城のブランド米として有名です。

 

その米は、

本石米として江戸幕府、

献上米として天皇陛下に送られました。

伊達藩のブランド米だったのです。

 

そんな登米町。

ぜひ1度、登米町にこっちゃこ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう1つ。

今日、北の国(富良野)に行っていた

太陽の家スタッフが帰って来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お土産に、

白い恋人と、

ポテトチップチョコレートと、

ちっちゃい前歯。

 

子どもの成長は本当に早いですね。

 

 

 

 

 

 


2012/10/24(水)blog 0 Comments

コメント